映画『首』は『首』がぶっ飛びすぎてヤバい!
前回、前々回と、徳川家康つながりということで、北野武監督の『首』を観ました。
U-NEXTで★3.5だったので、あまり期待しないでみた結果、正直な感想は・・・
「主役もオチもよくわからないけど、とにかく「首」がぶっ飛びまくってるな」でした。
私がいちばん印象に残ってる北野監督作品といえば『アウトレイジ』。
「テメー、この野郎、馬鹿野郎!」
と怒鳴り散らし、観てるこっちがグリグリと痛みを感じるような暴力にはちょっと引くんだけど。
でも「アウトレイジ」は、最終的には暴力的なサイクルを断ち切って終わるので、ある意味わかりやすい終わり方でスッキリできたんですよね。
で、今回の「首」はいわゆる「本能寺の変」から羽柴秀吉が明智光秀を討つまでのはなしなんですけど。
基本的には、たぶんみんなが知ってる「本能寺の変」の流れです。
ただ、「西島秀俊」が演じる明智光秀と「遠藤憲一」が演じる荒木村重のベッドシーンだったり、「加瀬亮」が演じる信長と「寛一郎」が演じる蘭丸のベッドシーンだったり。
「それいる?」
っていうちょっと気持ち悪いシーンがあって「うわっキモ」ってなったり。
西島秀俊と内野聖陽の「きのう何食べた?」でもそんなキワドいシーンはなかったのに。。
たぶん、見どころは映画のタイトルどおり「首」がポンポンぶっ飛ぶところなんだと思います。
だから、最後に秀吉が「首なんかどうでもいいんだよ!」と明智光秀の首を、それとはわからず蹴り飛ばして終わるシーンは、ちょっと意味がわからなかったんですよね。。
映画を見たあと、「首」の公式サイトでインタビュー記事を読んだんですけど、西島秀俊さんのインタビューの中に、北野監督の世界観がなんとなくわかる文章があって。
「大将のために殿(しんがり)を務めるということは最後を守るという意味ではない、その人のために死ぬということだからそれは愛だよねという話を(北野)監督がイン前にされたんです。」
意外と、北野武作品て暴力的なんだけど「愛」が大前提だったりするんですよね。
U-NEXTで★3.5なので、どっちかっていうとオモシロイと思った人が多いのかな。
ふつうの戦国時代映画としたら「なんだこれ?」って思うかもしれないけど、あくまで「北野武の映画」なので。
まさにタイトル通り、「首」がぶっ飛び、常識もぶっ飛ぶ映画でした。
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